葵青藍こと、セィランのオンゲブログ。主にマビノギとFF14。たまにどっかから拾ってきたバトンやってます。

近状報告
2011-08-21 Sun 12:00

お久しぶりです。



あの日から5ヶ月…



色々ありましたが、私は元気です。




どうもご無沙汰しておりました。
原発事故による避難から5ヶ月。気になってる人もそうでない方にも近状報告をしたく記事を書きました。

まずは、

震災以降、励ましや心配のメールやツイート、そして色々なサイト(主にmixi)の日記等でのコメント本当にありがとうございました。
皆様のお心遣いと激励のお陰で、何とか心を平常に保つことができました。


あの日、幸せだった生活が一転し、地震と津波に加えて、私の住んでいた福島県双葉町は原発事故による放射能汚染による警戒区域の指定によって避難を余儀なくされました。

地震のショックで主人が倒れたこともあり、避難した郡山市の病院で毎日介抱の日々を過ごしました。
食事もままならず。毎日カップ麺やヒドイ時は、スナック菓子に栄養ドリンクのみと言う普通の生活の上では不健康極まりない食生活をしました。

入浴もままならず、2週間入浴無しはざらでした。これでも女の端くれですので、これにはまず耐え難いものでした。
主人の病室の相部屋のおじいさんの奥さんのご厚意で、お風呂を貸して頂き、食事まで提供していただいて、それはもう泣きながら奥さんにお礼を言いまくったのを今でも覚えております。
福島に行った際にはご迷惑でなければまたお会いしたいと思っています。

そんな日々の中に容赦なく襲い掛かる余震。
病院の長椅子で寝る私にも容赦なく襲い掛かってきました。
毎晩のようになる緊急地震速報のエリアメール。
ほとんど眠れず、不安な日々を過ごしました。

そして震災からもうすぐ1ヶ月が経つという頃に、私は震災後初めて体調を崩しました。
ただの風邪だったのがせめてもの救いでしたが、三日三晩高熱と頭痛にうなされました。

精神的にも肉体的にも限界を感じ、私は主人を説得して実家のある青森へ戻る決断をしました。
実家に相談し、主人の弟さんに福島まで迎えに来てくれることになり、主人の転院の手続きを済ませて、青森に戻ってきました。

その翌日、4月7日。

1ヶ月目にして帰省先の青森で、停電を伴う最大余震も経験しました。

二重被災。

つまりはそゆこと。
ここまできて地震の恐怖に苛まれなければならないのかと、正直心が折れそうになりました。
そんな中でも励ましのメールは届いてきました。そのお陰で、何とか踏ん張りました。

そして、主人の病院に通いながら実家にお世話になること3ヶ月。
ようやく主人の退院の目処がたち、青森県に県外避難民として申請し、8月1日に借り上げ住宅を提供してもらって、今はそこで不便ながらも生活しています。

主人は脳出血による右半身マヒが少しだけ残り、未だにリハビリの為に入院していた病院に通っています。
毎朝私が車を運転し、病院と自宅を往復する日々です。
車が1台しかない上に私の車はMT車なので、今の主人に運転させるわけにはいかなく、お互い仕事もできず事実上無収入の状態です。

義捐金や仮払い金だけでは当然生活もままならず、色々と切り詰めて生活しております。

正直、今の生活も変わらず苦しいです。何度も辛くて布団の中で泣きました。
でも、未だに辛い状況の人が大勢います。雨風が防げる部屋があり、暖かい布団がある分私たちは幸せだと思います。
これからも主人共々頑張っていきます。
そして再び福島の地に戻り、福島にいる友人達と再会できる日を願って以上近状報告とさせて頂きます。


それでは、また伝えたい事ができたら更新します。




葵 青藍(セィラン)

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